
この記事は、映画「Michael/マイケル」をすでにご覧になった方を読者として想定しております。
内容にたくさん触れておりますので、ネタバレを避けたい方は、ご注意くださいませ。
ヒット映画「Michael/マイケル」を、遅ればせながら観覧しました。
実に不思議な感触の映画体験でした。
その理由を「プロジェクト」の観点から、考えてみたく思います。

【第一層】映画「Michael/マイケル」の基本的感想
この映画を観た人には言わずもがなだが、これは、マイケルジャクソンの半生を描いた伝記的映画である。
ちなみに自分は1982年生まれなので、この映画で描かれたマイケルの上り調子の人生前半戦は、リアルタイムでは体感していない。
人生後半戦の、スキャンダルや批判の嵐の印象が強かった。
洋楽、そのなかでもダンス・ミュージックに傾倒したこともなかったので、正直なところ、あまり良い印象はなかった。
中学生ぐらいのときは、アフリカ系アメリカ人ということすら、あまり理解していなかった。
「整形がすごいらしい」「肌の色も変えたらしい」という風の噂を聞いていただけだった。
それは、この映画を語るうえでは対になる「ボヘミアン・ラプソディ」のQueenにしても同じことだった。
「同性愛者らしい」「エイズで亡くなったらしい」という風の噂を聞いただけで、真偽を確かめる術もない。
音楽も、CMソングなどで取り上げられたり、FMラジオから時々流れるものは聞く程度。
それぐらいの距離感の人間からすると、この映画でマイケルやフレディの人生を疑似体験すれば、普通に好感が湧く。
結構苦労してたんだ、とか、キャリアの初期ではこんな音楽をやってたんだ!とか。
もちろん、ジャクソン・ファイヴのことは、知識としては知っている。
知識として知るだけでなく、業界の裏側や下積みも含めて映画として語られたら、そりゃあ、普通は感情移入する。
色々批判もあったけど、こうしてしっかり伝記にしてもらえてよかったね。マイケル、そしてフレディ。
そんなふうに思いながら、映画の前半を観ていた。
【第二層】徐々に不思議な違和感がまとわりつく
映画が始まって、60分ぐらいが経過したあたりから、なんともいえない違和感を覚えるようになった。
それはなにかというと、マイケルが、葛藤をしないのである。
映画の冒頭から、父親との関係性が映画の主軸になることは明瞭だったので、どんなドラマが起きるのかと待っていたのだ。
しかし、映画のなかで、マイケルは不思議と、父親と対決をしない。
こども時代マイケルがそれをできないのは、よくわかる。
青年マイケルになっても、それをしない。
ソロ・デビューについて「父ですか?ちゃんと目を見て僕から話しますよ」と微笑んだ直後に、別の人に仲介を頼む。
鼻の整形がバレた瞬間も、なにかが起きそうで、なにも起きない。
いよいよ父から別れたいとなったときも「君に決めた、お願いね!」と、弁護士を選ぶだけ。
その後、FAXで解雇通知を送る。
おいおい、そんなんで決別ができるわけないだろう、と思っていたら、まさにそのFAXを手にした父と対面する。
いよいよ対決の始まりか、それともここから壮絶な暴力が起きるのか・・・とドキドキして待っていたら、それは起きない。
「額縁にでも飾ろうか」みたいな不思議なアメリカンジョークを残して、父は去っていった。
ひとつひとつのシーンは美しい、ダンスも歌も、歌声も、ファッションも、うっとりするような美しさである。
その美しさに圧倒される時間と、ドラマのうえで肩透かしされる時間が、交互に繰り返される、不思議な映画なのだ。
【第三層】映画が急に終わる
ペプシコーラとの契約、そして大規模ツアーと、父親の悪巧みが後半の山場として描かれる。
親父とは絶縁したのでは?なぜここで介在するのかという疑問を、視聴するこちらとしては抱えざるを得ないのだが、ともかく、後半の山場では、父の逆襲が物語の軸となっていた。
途中で痛ましい事故を挟みながら、なぜかマイケルはツアーに参加すると決意して、実際に参加する。
いよいよ本当に父と決別する、といいながら。
どうやって決別するんだろう?と興味津々で物語を追いかけていたら、とても感動的な、ツアーファイナルで、ステージ上で、マイケルは父に別れを伝えた。
正直それは、観客としてはまともな決別には見えない、その前振りならわかるけれども、という行動だったのだが、ステージからはけるマイケルを追いかける父、それを遮るガードマン、というシーンだけで、決別シーンは終わった。
年代がまた移り、いよいよ髪型を再チェンジして、第三形態となったマイケルの後ろ姿が映る。
冒頭のシーンである。
そして名曲「Bad」を披露して、映画は終わった。
「そしてマイケルの人生は続く・・・」というエンドタイトルとともに。
自分は、とても美しい映画なので、時間を忘れて観ていた。
だから「あれっ?」と思った。まだ一時間ぐらいしか経ってないよね?
体感的には、それぐらい。物語的にも、まだまだこれからだし。
時計をみたら、しっかり2時間が経過していた。
【第四層】制作裏話を理解する
率直に言えば、非常にスカスカな物語で、葛藤もなければ対立も解消もない、とても不思議な映画だった。
その理由は、ネットで少し情報を探せば、すぐにわかった。
マイケルの人生にあった暗い部分について、本当は撮影していたのだが、制作途中に、それは描けないと判明したらしい。
それゆえに、ドラマの部分を大幅にカットせざるを得なかったそうだ。
なるほどねー、と、思う。
面白いのはここからで、この映画は、批評家の評価は低いが一般観客の評価は高いらしい。
そのことについて「観客はドラマなんてどうでもいい、音楽とダンスさえよければいい」と解釈する人も多い。
しかし自分は、そうでもないんじゃないかと思っている。
制作途中の都合で否応なくそうなってしまったとはいえ、この映画は「葛藤を避ける」こそがメインテーマで、この「葛藤しない、向き合わない」というモードこそが、一般観客の好みに合致したのではないか、と、思う。
マイケルの行動は一貫している。問題があったときに、向き合わない。誰かに片付けてもらう。
それは昨今の「退職代行モームリ」を濃厚に連想させるのである。
巨額のお金で動いていた、「退職代行マイコー」映画が、この映画の本質であった。
それがウケたのではないか。
【第五層】さらなる深奥を探る
この映画を「退職代行映画」として解釈するのも面白いが、さらにもう一歩面白い解釈ができる。
この映画は「マイケルジャクソンの主観による人生回想」とも解釈できるのである。
「あれやっといて」とひと言いえば、誰かがやってくれる生活。
おそらく多分、マイケル・ジャクソンの実際の生活は、そんなふうにできていたのではないか。
一般的な庶民の生活感覚から、完全に遊離してしまった世界。
宇多田ヒカルは「これじゃまずい」と、人間宣言をして、必死に復帰した世界。
スーパースターのリアルな感覚を映画で描くのは、ご法度である。
「スーパースターだって、庶民と同じなんだよ」というふうにするのが、フィクションの王道である。
この映画は、結果として、その王道を破った。
普通は、それでは当たらない。
「なんだよ、金持ちはいいよな」「天才は楽だな」というヤッカミを刺激するだけである。
きっと、この脚本は、制作者たちの当初意図したものではなかったのだろう。
もしかしたら、忸怩たる思いで仕上げをしていたのかもしれない。
しかし、結果として、作ろうと思っても作れない不思議な映画が完成した。
そしてたまたま、観客の支持を得た。
そのことをこそ、考えるべきなのかもしれない。
もしかしたら、今を生きる私たちの大半は、もう努力なんかしたくもないし、成長なんかしたくもないのかもしれない。
すべてが自動化され、なにも努力しなくてもチヤホヤされる夢の生活しか望むことができないのかもしれない。
ゲームやAI、SNSの世界が、部分的にそれを叶えてくれている。
本当はそれそのものは実現していないが、没頭しているあいだは、その気にさせてくれる。慰撫してくれる。
この映画のヒットは、そんな世相を象徴しているように思われてならない。
【総括】プロジェクトの神秘を思う
通常、制作プロジェクトは、外部環境からの影響を嫌う。
制作物は、制作者の意図通りに作られて叱るべきだと考える。
またその社会的需要においても、制作者の意図とズレがないことが期待される。
それを突き詰めると、「才能」こそが「ヒット」を生むのだということになる。
その前提には、制作する「主体」とそれを享受する側の「客体」が存在している、というア・プリオリな期待がある。
しかし、たとえば本作の制作過程と制作物、その社会需要のあり方を観察すると、そのような見立てはフィクションに過ぎないことがよく分かる。作りたいものを作れていなくて、絶対評価をすれば、ヒットに値する作品のクオリティにも到達していない。これまでの「当たるための方程式」を満たしていない。にもかかわらず、なぜか社会に受け入れられている。制作者や批評家の一歩先を、時代がすでに歩んでいる。誰も計算できない、誰も計算していない。よくわからない相互作用の積み重ねだけが、ただただ、そこにある。
まさしくその「ただそこにあるもの」こそが、プロジェクトなのである。その顛末や成否を人間がコントロールすることは、端的にいって不可能なのである。顛末のコントロールどころか、なにが起きたのか自体、理解している人は、ほとんどいない。それでもなお、プロジェクトをよきものにしたい、と考えるのが、プロジェクト工学の立場である。
この記事の著者

プロジェクト進行支援家
後藤洋平
1982年生まれ、東京大学工学部システム創成学科卒。
製造業DX・人材ビジネス・IT開発・新規事業などの経験から、プロジェクト活動における「未知」という難しさを痛感。解決策を模索するなかで、学生時代に学んだ設計学・サービス工学のプロジェクト活動への応用を着想した「プ譜(プロジェクト譜)」は、進行設計を計画書ではなく「譜面」として表現することで、管理に寄りすぎず、柔らかな進め方ができる手法として、静かながらも長年の支持を得ている。
組織マネージャ、ITプロマネ、二児の父という三足のわらじが履ききれなくなって、2019年5月に独立。企業研修や実務支援に取り組むなかで、どの業界、企業、人にも共通する悩みがあると理解し、なにか一助になりたいと思いながらも試行錯誤を続けている。近年はプ譜を用いた壁打ちセッションを試行中。
著書
・予定通り進まないプロジェクトの進め方(宣伝会議)
・見通し不安なプロジェクトの切り拓き方(宣伝会議)
・紙1枚に書くだけでうまくいく プロジェクト進行の技術が身につく本(翔泳社)
・“プロジェクト会議”成功の技法 チームづくりから意思疎通・ファシリテーション・トラブル解決まで(翔泳社)
・決まるプレゼン・会議の組み立て 意思決定のための「場」の演出論(ビジネス教育出版社)

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