「プロジェクト」と「エントロピー」に関連する用語を集めてみる

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このコラムのテーマと中身

なぜ放っておくと、物事は壊れていくのか。
なぜ、作ることは楽しいのか。

なぜ、生きているだけで疲れるのか。
なぜ、疲れていても生きられるのか。

一時期、筆者がメンタルダウン状態に陥っていたとき、文字通り泣き暮らしていたわけであるが、そのとき、心を癒してくれたのは音楽だった。月並みかもしれないが、ベートーヴェンの第九が心底、胸に迫った。万感の思いで聴いた。しかし当時は非常に不思議だったのである。音楽を聞く過程で、人間はエネルギーを摂取していない。しかし、音楽を聞くことで、心に元気が戻ってくる。生きようという力が感じられる。
夜寝るときに、ヒーリングミュージックや自然音を流すと、なぜかすっと寝ることができる。筆者はときどき、マーラーの交響曲を流して眠りにつく。ある意味では、カオスで騒々しい音楽ともいえるマーラーが、なぜか眠りに著効する。

同じテンポでも、機械音なのか犬の散歩の足音なのかで、人間が受け取る印象はまったく変わる。最近、ETVで「ぼくのリズム」という曲が流れている。犬の足音をもとに曲に仕立て上げていて、とても心が癒やされ、元気になる。

音に限らず、映像でも、ホワイトノイズより木漏れ日のほうが癒される。これはいったい、なんなんだろう?

直感的には、人間の脳は周囲の環境情報からなんらかのパターンを受け取り、内的な認知システムにおける情報収支の改善に活かしている、ということではないかと思われる。

リズム、という言葉は、おそらく、途方もなく大きな意味を持った言葉である。村上春樹が「小澤征爾さんと音楽について話をする」で非常に重要なことを指摘している。

僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。

(中略)

言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。ポリリズムと言ってもいいかもしれない。音楽と同じです。

この話は、プロジェクトやプロジェクトマネジメントをよきものにするために、あるいはプロジェクトマネジメントの失敗によって傷ついた心を癒すために、おそらくもっとも大切な示唆を与えてくれている。そしてその核心は、「エントロピー」と「1/f特性」の言葉によって紐解くことができるはずである。

本論考におけるエントロピーへの関心事は、おおきくわけると以下の3つである。

これらはまったく別々のものに見えるが、実は一貫したものがあり、連続したものとして理解できるはずだという予感がある。

生命とは、エントロピーを外に捨てながら、内部に秩序を維持するプロセスである。
気象・文明もまた同じ。地球をマクロに眺めても同じである。
だとしたら、生物進化の過程も、人間の認知機能の内部構造にも、同じ原理が働いているはずである。

プロジェクト活動やプロジェクトマネジメントには、情報操作という行為が極めて重要なファクターとして関与している。またエントロピーを下げるということも行っている。それらの間にあるつながりを理解したい。読み解きたい。それが、この論考の動機である。

「負のエントロピー」

「負のエントロピー」の概念が、最初の一歩、大きなヒントになることは確かである。物理学者であるエルヴィン・シュレーディンガーは『生命とは何か』(1944年)で、生命は「負のエントロピー」を食べて生きていると言った。

動物は、植物を食べることでエネルギーを獲得し、カロリーを燃やして運動するというイメージがある。
それもそれで誤りではないが、そのようなエネルギー系の過程にともなって、エントロピー系(情報処理)過程が働いている。

近年の科学系ヒット書籍「時間は存在しない」も、このことを主題的に扱っている。

植物は、光合成を通じて太陽からのエントロピーが低い光子を溜め込む。動物は、捕食によって低いエントロピーを得る(エネルギーが手に入りさえすればよいのなら、餌をとる代わりに灼熱のサハラに向かうだろう)。
生体の各細胞には複雑な化学反応網があり、そのなかのいくつもの扉が閉じたり開いたりすることによって、低いエントロピー資源の増大が可能になる。分子は、触媒となって過程を推進したり、制動をかけたりする。そして各過程でエントロピーが増大することで、全体が機能する。生命は、エントロピーを増大させるためのさまざまな過程のネットワークなのだ。

シュレーディンガーのいう「負のエントロピー」を一般化すると、以下の表現となる。

例① 光合成はなにをやっているか

光合成の反応式

物質・エネルギー系として見たときに光合成がやっていること

光合成は、おおきく2つの過程に分けられる。

光反応:光エネルギーを使ってATPを作る(水を分解、酸素を放出)
暗反応:そのATPを使ってCO₂からグルコースを合成する

例② 細菌はなにをやっているか

光合成に限らず、細菌も同じ原理で動いている。

・グルコースという「場合の数が少ない分子」を
・CO₂とH₂Oという「場合の数が多い分子」に散らす
・その落差で得たエネルギーでATPを作る

ATPの使い道

化学的タンパク質・DNAの合成
機械的筋肉の収縮、べん毛の回転
電気的イオンポンプ(神経信号)
輸送膜を越えた物質の移動

例③ 動物はなにをやっているか

グルコースという秩序ある構造が、段階的に分解されてCO₂とH₂Oというバラバラな分子になる。その崩れる落差を三段階に分けて丁寧に横取りして、ATPという秩序を作っている。一気に燃やせば同じエネルギーが熱として散るところを、生命はこの迂回路の複雑さによって、エントロピー増大を制御しながら利用している。

(参考)最初期生命はなにをやっていたのか

最初期生命も同じ原理で発祥したという説がある。

熱水噴出孔起源説はこのように説明する。

 熱水側海水側
温度高い低い
pHアルカリ性酸性
H₂濃度高い低い
プロトン濃度低い高い

熱水噴出孔の岩石は、微細な孔だらけの構造を持つ。その孔の壁に、勾配を使って、以下のことを行っていた。

岩石の孔が「細胞膜の代わり」として機能し、内外の落差を維持していた、というのがこの説のポイントである。

始まりは、太陽で起きている核融合

太陽からエネルギーを受け取り、そのエネルギーで運動しているわけではない。人類を含む地球は、太陽から受け取ったエネルギーをほぼ同じ量だけ、放出している。若干残存しているがゆえに、寒冷化から免れている。

太陽から受け取る宇宙へ放出する
エネルギー約1単位約1単位(ほぼ同じ)
光子の数少ない(高エネルギー光子)多い(低エネルギー赤外線光子)
エントロピー低い高い

太陽は重力により水素核を集め、核融合反応を起こしており、これが「低いエントロピー」を発生させている。

※補足※
νe(ニュートリノ):物質と相互作用しない
→ 太陽からまっすぐ届く( 情報を運ぶが仕事をしない)

γ(ガンマ線):物質と強く相互作用する
→ 太陽内部で何度も吸収・再放射( エネルギーを運び仕事をする)

太陽は重力エネルギーを使って、「バラバラな水素」という高エントロピー状態を「少数の高エネルギー光子」という低エントロピー状態に変換する装置とも見なせる。

※太陽そのものも、よりエントロピーの低い原始太陽系星雲から生まれた
※エントロピーの増大を妨げる要因もまた、宇宙のいたるところにある
※宇宙の歴史全体が、エントロピー増大の跳躍と遅滞で構成されており、その進行は一様ではない

黒体放射

では、地球はどうやって宇宙へ熱とエントロピーを放出しているのか。黒体放射によって放出している。

物体は温度を持つだけで電磁波を放射する。そのスペクトル分布はプランクの式で記述される。

外界に対して境界を持つ物体は、構成分子の振動の総量として温度を有する。
温度を有する物体が、電磁場と熱平衡状態にあるときに起きている状態のことを、黒体放射という。

太陽表面から出る光は約5800Kの黒体放射となっている。
地球表面は約288Kの黒体放射。
人間は約310Kに応じた黒体放射を行っており、その大部分は目に見えない赤外線として放出されている。

温度Tの黒体放射が持つエントロピー密度

問い

この論考が意識しているのは、以下の2つの問いである。

①人間が食事を通じて改善しているエントロピー収支の正体は?

別の記事でも書いたように、人間にとって食事はプロジェクトである。いや、食事こそがプロジェクトである。

北大路魯山人は、新鮮なものを食べよ、美しい器に盛りなさい、まずいものはどうしたってうまくならない、といった。土井善晴は、買ってきたものでも、少しでも手をかければ食事になると言う。それは、まさしく「低いエントロピー」を摂取しなさいと言っていたのではないか。

低いエントロピーというと、工業的な食品をイメージする。しかし、工業的な食品やコンビニの食べ物では、心は癒されない。それは、製造工程が定まっていて、品質や寸法が安定しているので、エントロピーが低いイメージがあるが、実は内部構造の秩序が破壊されているので、エントロピーはむしろ高いといえる。

視点工業的食品天然食品
外から見た形・均一性低エントロピー(揃っている)高エントロピー(バラバラ)
内部の分子構造高エントロピー(破壊・単純化)低エントロピー(複雑・階層的)

②芸術と太陽の共通性はエントロピーの概念で肯定できるか?

人間が生きるためには、低いエントロピーが必要である。物質やエネルギーを摂取消化する過程においても、情報を摂取消化する過程においても。

音楽にかぎらず、小説、映画、舞台、絵画、彫刻など、優れた芸術作品は、人間の認知機能に、不思議な働きかけをする。

それは、情報の摂取過程に働きかけているからだと思われてならない。
人間にはエネルギーの摂取活用過程とあわせて、情報の摂取活用過程が同時に働いている。

ここで、改めて深く深く面白いのは、エントロピーが高すぎる状態は「予測する意味がない」という意味において予測が容易であり、ときとして我々はこれを「低エントロピー状態」だと認識しがちである。

数学の無限論の世界に、文字列を無限につらねていけば、そのなかにシェイクスピアの作品が含まれるという命題がある。言い換えれば、ホワイトノイズを無限に垂れ流せば、バラエティ番組が映る、ということになる。それはおそらく嘘である。というよりも、無限に連ねた文字列という概念自体が、言語システムが引き起こすバグのようなもので、存在しないものを想定している。ゆえに、私たちはテレビのホワイトノイズをえんえんと観察しつづけ、この命題を検証しなくてもよい。

人間が、あるいは生き物が、意味のある情報と出会い、存在同士が相互作用をし、互いが互いを変容させ、新たななにかを生む。これを価値と呼ぶのではないか。そして仏教哲学がそれをこそ、縁と呼んだはずである。

岡本太郎が「太陽の無償性」をいったのも、その本質はむしろ、エントロピーを補助線に理解すべきではないか。

古来より、人間の暴力が、敵を辱めることと表裏一体であったこと、そして芸術があくまでも戦争の対極に位置すること、太郎の芸術が常に誇り高いことを大事にするのは、無縁ではないと考えられる。

人間が芸術・宗教・物語を求めるのは、情報処理効率の改善に、それが必要だったからではないか。

問題を解くためのヒント

この論考では、いくつかの純粋物理、及び認知科学におけるキーワードをもとに、この謎を探っていく。

  • ボルツマンエントロピー
  • Shannonエントロピー
  • 1/f特性
  • フラクタル
  • Rényi 相対エントロピー
  • 散逸構造
  • コンストラクタル原理
  • 自由エネルギー原理
  • 大域的アトラクタ

ボルツマン・シャノン・Rényi によるエントロピーの解釈

エントロピーには、着目する要素や分析の基準を変えると、どうとでも意味が変わるという性質がある。例えばトランプをシャッフルすると、番号やマークのエントロピーは上昇するが、トランプという紙の物理的な組成という意味ではエントロピーに変化は起きない。

トランプをシャッフルしても、部屋全体のエントロピーはほとんど変化しない。
これからババ抜きをやろうとしているプレイヤーの心理的なエントロピーは下がる。
シャッフルの質が十分であれば、ゲームにおける”驚き”が最大化され、楽しい場になる。
シャッフルが中途半端だと、ゲームのエントロピーが十分に高まらず、あんまり楽しい場にならない。

エントロピーをもっと整理し、探求し、理解せねばならない。

熱力学におけるエントロピー

物理学の世界でエントロピーが始めて意識されたのは、カルノーサイクルの考案から50年ほどくだり、以下の値が一致することに気づいた理論物理学者(クラウジウス)があらわれたのがきっかけである。

クラウジウスは、この「Q/T」なる物理量に、エントロピー(移りゆくもの)という名前を与えた。どんな物質も、エントロピーという物理量を持っている。接触した物体の間で熱Qが流れるときには、同時にエントロピーQ/Tが受け渡される。流れ出るエントロピーは、Q/Thであり、流れ込むエントロピーは、Q/Tlである。

熱力学的エントロピーは、以下の関係式で定義される。
(ちなみに、Q(熱量)の次元は エネルギー(J: ジュール) T(温度)の次元は K(ケルビン))

この意味は、「可逆過程において、系に加えられた熱量をその温度T で割ったものがエントロピーの変化量」ということである。

エントロピーと内部エネルギーの関係性は、次のように定義される。

この式は、温度が「エネルギーを加えたときにエントロピーがどれだけ増えるかの逆数」であることを意味している。つまり、高温では少し熱を加えてもエントロピーはあまり変わらず、低温では同じ熱量でも大きくエントロピーが変化する、ということである。

温度は粒子の「平均的な運動エネルギー」の尺度であり、エントロピーは系の「乱雑さ」の尺度である。エネルギーは閉鎖系において、一定に保たれる。これを、エネルギー保存則と呼び、エネルギーは保存量と呼ばれるわけだが、エントロピーは、保存量ではない。

熱力学におけるエントロピー発見の意義

熱力学的エントロピーの最大の貢献は、なぜ物事は一方向にしか進まないのかを説明できるようになったことである。氷は溶けてもコップの水は自然に凍らない。割れたコップは元に戻らない。こうした「時間の矢」とも呼ばれる現象を、クラウジウスやボルツマンはエントロピーの概念により、数式化した。「孤立した系ではエントロピーは必ず増大する」という熱力学第二法則が確立されたことで、自然現象の不可逆性が初めて定量的に扱えるようになった。

次に、エネルギーの「使える度合い」を測れるようになった。エネルギーは保存されるが、すべてが仕事に変換できるわけではない。エントロピーの概念があるからこそ、蒸気機関や内燃機関の理論的な効率の上限(カルノー効率)が計算でき、「どれだけ頑張っても越えられない壁」が明確になった。これは産業革命以降のエンジン設計を科学として基礎づけ、無駄のないエネルギー利用を追求する工学の出発点となった。

その貢献の本質は、ミクロとマクロをつなぐ橋を架けたことである。ボルツマンは「エントロピーとは、あるマクロな状態を実現するミクロな場合の数の対数である」という有名な関係式(S = k log W)を示した。これにより、目に見えない無数の分子の振る舞いが、温度・圧力といった目に見える量と結びついた。
これがシャノンエントロピーとの不思議な結びつきの扉となる。

Shannonエントロピーと符号化理論

熱力学的エントロピーは、「エネルギーがどれだけ散逸・分散しているか」を表す。
情報理論的エントロピーは、「あるメッセージの不確実性(情報の散逸度)」を表す。

つまり、どちらも「システムの乱雑さ・不確実性の度合い」を測る指標になっている。

熱や運動エネルギーの話と、情報処理の話という、一見してまったく違う議論に、まったく同じ構造の数式が出てくるので、人はなんだか、これを神秘的に感じてしまうところがあるが、考えてみたら、この両者が類似するのは、当たり前といえば当たり前である。
熱とは無数の粒子(量子)の自由な運動の総体であり、熱力学を突き詰めると、統計の話となる。かたや、情報もまさしく、離散的な大量の信号を扱うものであり、これも畢竟、統計の話なのである。

情報科学におけるエントロピーの最大の意義は、情報そのものを数値で扱えるようにしたことである。それまで「情報」は哲学的・感覚的なものだったが、エントロピーの概念を通して、シャノンはこれを「情報の量」として定量化した。これにより、コンピュータ、インターネット、AI、暗号技術など、現代のデジタル社会全体が「情報」を設計・計算できる工学の対象になった。シャノン以前と以後では、情報をめぐる人類の技術力が根本的に変わった。

わかりやすい応用例は、通信をの信頼性を高めたことである。電波や回線には必ずノイズが混じり、データが壊れることがある。シャノンは、どんな雑音だらけの通信路でも、エラーを限りなくゼロに近づけながら情報を送れる速度の限界(通信路容量)が必ず存在することを証明した。この発見が、スマホの通話やWi-Fiが安定して使える技術の理論的な土台になっている。

シャノンエントロピーと符号化理論が生んだ最大のメリットは、情報を圧縮できるようになったことである。たとえば日本語のテキストでは、「の」「は」「が」といった文字が頻繁に登場するが、「ゾ」や「ヲ」はめったに出ない。シャノンの理論を使うと、よく出る文字には短い符号を、めったに出ない文字には長い符号を割り当てることで、全体のデータ量を数学的に最小化できる。

ZIPファイルやJPEG画像がスマホに大量に保存できるのも、この原理のおかげである。あらかじめ、そこに入ってくるデータの確率的な傾向がわかっているからこそ、少ないビットすうで同等の情報を保持できるのである。

静止画像と1/f特性

ここで、後半の議論を少し先取りするが、「1/f特性」の言葉を取り上げる。
1/f特性とは、時系列信号(音、心拍、株価変動など)のパワースペクトル密度 S(f) が、周波数 f に対してS(f) ∝ 1/f^βという形になる現象のことである。β = 0 なら白色雑音(完全にランダム)、β = 2 ならブラウン運動(完全に相関した動き)、β ≈ 1 のときが俗にいわれる「1/fゆらぎ」で、ランダムさと規則性の中間的な性質を持つ。

たとえば、スマホ写真データの情報圧縮には、機械学習が必要なのか?

答えは、必須ではない。スマホのJPEGやHEIF圧縮の核心は古典的なアルゴリズムで動いている。具体的には、画像を8×8ピクセルのブロックに分割し、離散コサイン変換(DCT)で空間的なパターンを周波数成分に変換する。人間の目は高周波成分(細かいギザギザ)に鈍感なので、そこを大胆に間引く。残った成分をハフマン符号化で圧縮する。この一連の処理に機械学習は登場しない。

自然画像のパワースペクトルはおおむね周波数fに反比例することが知られている。つまり自然の風景や人物写真は「低周波成分が多く高周波成分が少ない」という統計的な偏りを持っている。
JPEGがDCT後に高周波を捨てても違和感が少ないのは、そもそも自然画像に高周波情報が少ないからだ。人間の視覚系は、その統計に最適化されて進化しているという議論もある。網膜の神経細胞や視覚野の応答特性が、まさに1/f的な自然画像を効率よく符号化するように調整されているという。つまり脳はすでに、自然界のエントロピーの低さを「知って」おり、予測と差分だけを処理することで省エネを実現している。JPEGが高周波を捨てるのと、原理的に同じことをやっている。

自然画像が1/f的であることは、単なる経験則ではなく、自然界の物理的・生態的な成り立ちそのものを反映している。岩肌も、木の葉の重なりも、雲の形も、近くを見ても遠くを見ても似たような複雑さが続く——いわゆるフラクタル的な自己相似性である。スケールが変わっても統計的な構造が保たれるから、必然的にパワースペクトルが1/fになる。

Tom Leinsterによるエントロピーの生態学への橋渡し

Tom Leinster「Entropy and Diversity: The Axiomatic Approach(Cambridge, 2021)」(エントロピーと多様性の数理、春名太一訳、森北出版)はエントロピーを実世界を理解するために応用するにあたって、極めて重要な一冊であると思われる。本書に出てくる重要キーワードは以下の通りである。

Shannon エントロピー
定義は見た目通り H(p) = −∑ pᵢ log pᵢ だが、Leinster は「公理からの導出」にこだわった。特にチェイン則を公理として採用したとき、Shannon 形式が一意に定まるという Fadeev の定理を重視している。

Rényi 相対エントロピー(α-ダイバージェンス)
パラメータ α が「分布の尾への感度の調節つまみ」になっている。α = 1 が KL ダイバージェンス(通常の情報論)だが、α ≠ 1 では チェイン則が成り立たない。これが Shannon の特別さを際立たせている。

チェイン則(Chain Rule)
「2段階で不確実性を解消するコスト=一度にまとめて解消するコスト」という非常に自然な要請。Leinster はこれを 圏の合成則と対応させることで、情報理論を圏論の言葉で書き直している。

Hill 数(Hill Numbers)
生態学者向けに「実効的な種の数」として設計されている。Rényi エントロピーに exp をかけることで「log スケール」から「個体数スケール」に戻したもの。α = 2 の Hill 数は Simpson 指数の逆数として生態学でよく使われる。Leinster はこれをさらに種間の類似度行列 Z で拡張し、「遺伝的に似た種ばかりなら多様性は低い」という直感を定式化している。

相互情報量(Mutual Information)
I(X; Y) = D_KL(p(x,y) ∥ p(x)p(y)) という表現が本質。「結合分布が独立な場合からどれだけずれているか」を測っており、ずれがゼロ ⟺ 独立。この DKL 表示からすぐに I(X;Y) ≥ 0 が従う。

これらの概念や用語に、何の意味があるのか?

 「Entropy and Diversity」は、多様性の概念を深化させた一冊である。本書の問題意識はこうである。特定の種がその生態系の大部分を占めていて、かつ種の数が多いのと、異なる種が均等に存在しているのとでは、どちらが本当に多様なのか?それを定量的に表現できるのか?それは人間の直感と合致するのか、それとも反するのか?
以下はClaudeに手伝ってもらって作った図。

「希少種を守りたい保全生態学者」と「優占種を気にする農業研究者」では、同じ森を見て多様性の感じ方が異なる。Leinster のアプローチは、そのどちらが正しいかを決めるのではなく、「α を動かすと視点が連続的に変わる」と整理した。

ちなみにShannonエントロピーとは、α = 1とした場合のエントロピーのことである。

従来の多様性指数は「種が違えば完全に別物」として扱う。しかし、例えばタヌキとキツネは似ており、タヌキとサンゴは全然似ていない。この点を反映した多様性の指数が必要である、との直感は自然である。
Leinster は種間の「類似度行列 Z」を導入して、似ている種ばかりの群集は多様性が低く測られるように数式を拡張した。たとえばクローンだらけの森は、種の数がいくら多くても「実質1種」に近いはず。これを「similarity-sensitive diversity」と呼び、遺伝子・文化・料理・生態系など、多様性を議論するあらゆる場面に適用できる汎用的な枠組みにしたのがLeinsterの成果である。

物理学からの示唆

コンストラクタル原理

エネルギーや物質には、効率よく運搬されたい、流れたい、という基本的な性質があり、そこに秩序や情報という要素は当然のように関連するはずであり、そのあたりのことを考えると、コンストラクタル原理のことに言及しないわけにはいかない。

コンストラクタル原理を簡単にいえば「流れるものは、より楽に流れようとする」ということである。
自然界には川・血管・木の枝・雷・都市の道路など、似たような「枝分かれ」構造が至るところに現れる。これは偶然ではなく、流れ(水・血・電気・人・情報など)が抵抗を減らそうとして自然に生み出す形だとするコンストラクタル理論である。物理学者アドリアン・ベジャンが1996年に提唱した。

例示すると、以下のとおりとなる。

現象コンストラクタル的な見方
川の流れ水が山から海へ降りる過程での、本流・支流の枝分かれ
肺の気管支空気を全細胞に届けるための、太い管→細い管への分岐
都市の道路幹線道路と路地の階層構造が自己組織化的にできあがる
企業の組織図情報や命令を効率よく流すため、どの企業も似た形になりやすい

散逸構造

散逸構造を簡単にいうと「エネルギーを食べ続けることで、秩序が生まれる」ということである。

イリヤ・プリゴジンが提唱し、1977年にノーベル化学賞を受賞した。普通、エネルギーを使うと物事は乱雑になっていく(熱力学第二法則)。ところが外からエネルギーを取り込み、それを捨て続けること(散逸)によって、むしろ複雑で秩序ある構造が自発的に現れる——これが散逸構造であるという。

現象散逸構造的な見方
お風呂の渦栓を抜くと、ただの水がくるくると整然とした渦を作る。
エネルギー(水位差)を散らしながら構造が生まれる
ローソクの炎蝋を燃やし続ける(散逸)ことで、あの安定した炎の形が維持される。
生命食べて(エネルギー摂取)、体熱を捨てて(散逸)、細胞や臓器の秩序が保たれる
都市電力・食料・人・情報を取り込み、ゴミ・熱・排水を捨てる過程で都市構造が維持される

散逸構造もコンストラクタル原理も、問題意識は通底している。「負のエントロピー」という見方を踏まえると、コンストラクタル原理のほうに軍配があがる印象はある。いや、コンストラクタル原理は平衡状態に着目していて、散逸構造は平衡状態に至ろうとする過程を見ている、ということなのかもしれない。

散逸構造コンストラクタル原理
問いなぜ秩序が生まれるかなぜあの「形・構造」になるか
着目点エネルギーの流れと熱力学流れの効率と幾何学的形状
答え平衡から遠い系での自己組織化流れやすさへの最適化

認知学における重要理論

フリーマン理論と大域的アトラクタ

神経科学者ウォルター・フリーマン(Walter J. Freeman)は、脳が「外界の刺激を受け取ってそれを処理する」という受動的な装置ではないことを実験的に示した。嗅覚野の神経活動をEEGで観察したフリーマンが発見したのは、においの刺激が入力される前から、脳はすでにカオス的な活動状態にあり、刺激が来たときに、そのカオスが特定のパターンへと一気に収束する、という現象だった。

この「収束先」のことを、力学系理論の用語でアトラクタという。水が低いところへ流れ込むように、系の状態が引き寄せられる「安定した場所」のことである。フリーマンの重要な発見は、脳全体にまたがる大域的アトラクタ(global attractor)の存在だった。ひとつの嗅覚刺激に対して、嗅覚野の局所だけが反応するのではなく、脳全体のダイナミクスが一体として変化し、特定のアトラクタへ向かって自己組織化する。

フリーマンは、意識とはこの大域的アトラクタの遷移そのものではないかと示唆した。特定の知覚や感情、思考が生まれるとき、それは脳の一部位が「担当している」のではなく、脳全体のダイナミクスが特定のアトラクタ状態に入ることで生じている、というわけだ。

ちなみに、日本の医師である浅野孝雄氏は、フリーマンの大域的アトラクタを仏教の十二縁起と関連付けられるとし、これは神話的な輪廻転生の話ではなく、脳神経や身体において生じる循環的な現象に関するモデルであると論じた。

十二縁起大域的アトラクタ
無明カオス 混沌 頭の中が空白となった状態
生活作用のはじまり 本能的欲求 指向性 辺縁系 五蘊の生起
気づき 識別作用 大域的アトラクタの生成
※混沌のなかから志向性(行)が働いて、形を持った心的なプロセス(識)ができる
名色気づきの対象 名称(ナーマ)、形態(ルーパ) 
六処感覚器官(眼、耳、鼻、舌、身、意)の働き
対象との接触により知覚が発生する
知覚の発生に対する、情動的な反応 快―苦 好き―嫌いなど
愛憎 妄執、自分のものにしたい感覚 情動の一番強い形
執着 情動反応が習慣となって、そのレベルで生活している
※「取」までの状態は、すべての有情に共通する心のプロセス
抽象観念、あるいは表象が生じる(愛、国、欲望、煩悩etc)
精神的作用 「有」の働きで、人間が精神的な存在となる
老死大域的アトラクタの崩壊  死ぬ、でなく滅する、の意

浅野氏は、人間の意識活動や精神状態は、ずっとこれを回し続けているという。いわゆる「三世両重的解釈」よりも、こちらの解釈のほうが、よほど腑に落ちるのである。

自由エネルギー原理

神経科学者カール・フリストンの提唱した自由エネルギー原理もまたエントロピーと深く関係している。
自由エネルギー原理を簡単にいうと、「脳は驚きを最小化するために、世界のモデルを作り続けている」ということである。

身近なたとえでいうと、暗い部屋に入るとき

1.脳は「たぶんこんな部屋だろう」と予測モデルを作る
2.目・耳・皮膚からの情報が入ってくる
3.予測と違えば誤差(=自由エネルギー)が生じる
4.脳はこの誤差を減らそうとする

5-1 モデルを更新する(「あ、思ったより広かった」→ 知覚・学習)
5-2 行動して現実を変える(電気をつける→ 予測通りの世界にする)

知覚も行動も、どちらも「驚きを減らす」という同じ目的のための手段であるとみなすのが、自由エネルギー原理の考え方である。

エントロピーの話とこの話には、並々ならぬ関係性が、当然のように、ある。

大域的アトラクタと自由エネルギー原理は、深く通底しあっているようにみえる。コンストラクタル原理と散逸構造のように。
フリストンが「脳は予測誤差を最小化する」と言うとき、その「予測」を担っているのは、まさにこうした大域的アトラクタのダイナミクスだとも解釈できそうだ。脳はアトラクタの形として過去の経験を「記憶」しており、新たな刺激が来るたびに、そのアトラクタとの照合を行い、誤差が大きければアトラクタそのものを更新する(学習する)。

人間の脳は、自分自身についても予測するし、他者についても、環境や世界についても予測する。適応障害とは、予測とフィードバックのズレが補正不可能な状況で起きる現象であると類推される。そして、自然な環境に身を起き、自然な音を聴くと癒されるのは、予測モデルのチューニングを行っている、ということであるように思われる。

ではその「自然なもの」を特徴づける物理量とはなにか、というとこれまた一大ミステリーであるわけだが、たとえば私たちはこういう議論をするなかでも、「1/f」の言葉を思い出す。

脳の臨界仮説

エリック・レネバーグ(1967年提唱): 人間の母語習得は乳児期から思春期(11〜12歳)までの成熟期間に限られ、それを過ぎるとネイティブレベルの言語習得は困難になると提唱した。
(近年では、能力が完全に失われるわけではないとして「臨界期」よりも柔軟な「感受性期(Sensitive Period)」という言葉が使われることが増えているそうである。)

1/f特性との関連に言及すると、「カオスと秩序の境界」で脳が最も高い情報処理能力を発揮するという。脳波や神経活動には、自然界の心地よいリズムである1/f特性が観測され、健全な脳のカオス的活動は、ランダムなホワイトノイズではないと言われている。この件については、Dante Chialvo(ダンテ・キアルボ)がキーパーソンであるという。サン・マルティン国立大学の教授で、ペル・バックと共に、脳を臨界システムと捉えた具体的なモデルを提唱した。初期の研究は、学習が臨界性からどのように恩恵を受けるかという数学的なアイデアに焦点を当てていたそうである。

John Beggs と Dietmar Plenz(2003) が神経細胞の「アバランシェ(雪崩)」現象を実験的に示し、脳が臨界状態にあることの証拠として 1/f 的べき乗則を報告した論文が、この分野の決定的な実証研究として引用されるとのこと。

1/f特性:物理学から認知・生命学への架橋のヒント

カオスと秩序。

電子レベル、原子レベルでは、物質の内部構造はただただひたすらに、例外のない純粋物理的な法則、秩序に支配されている。
それらが空間に投げ出された状態は、ただただひたすらに予測不可能な無秩序、ランダムウォークを形成する。(ブラウン運動)

カオスは非線形決定論的な現象であり、ブラウン運動は確率過程である。
秩序と無秩序のはざまに、カオスや1/fが生息している。

ある系に対して、その系が必要とする「低エントロピー・高いエネルギー」が作用したときに、局所的な新たな秩序が発生する。
秩序が生み出す無秩序。その先に自然・生命現象が生み出すメタ秩序。

1/f特性は、その謎を解明するための重要ヒントと思われる。
しかし、これを自然言語であらわすのは簡単だが、数学・工学的に理解しようとすると、これまた極めて厄介なのである。

1/fゆらぎ?

1/fゆらぎという言葉がある。木漏れ日、波の音、心拍、歩行リズム、バッハの音楽…これらはすべて1/fゆらぎを持っている、と言われる。1/f特性というと、工学的に定義可能だが、「ゆらぎ」と言われると、わかるようなわからないような感じがする。実際、この言葉は要注意である。

確かに、低すぎるエントロピーも、高すぎるエントロピーも、生き物の意識活動には無意味である。

芸術・音楽・自然の美は、規則性(低エントロピー)と意外性(高エントロピー)のバランスによって成立しているとも考えられる。

人間の認知系がこの構造に共鳴するように進化してきた可能性は十分に考えられ、またそれは美的感覚や安らぎ、といった肯定的感性と深く関連しているのも間違いないように思われる。そういわれると、そうした直感は、たしかに確からしい感じがする。しかし、以下で見るように、実際はかなり込み入っている。手放し、思考停止で1/fを振り回すのは危険である。一応この項では、どこに落とし穴があるのかを明らかにしておきたい。

音楽と1/fゆらぎ

1/fゆらぎという概念を音楽に適用する際には、慎重さが必要である。

・ヴァイオリン 一定の音量 単音 一定期間
・ピアノ 一度のアタック 減衰
・単一楽器 短いフレーズ
・合奏 一曲

これらのすべての音源データはフーリエ変換によって、それを構成する周波数を数値化することができる。
以下もまた、Claudeに手伝ってもらった図と解説。Claude、すごすぎるだろう。万能か。

音楽は時間とともに変化する非定常な信号であるため、曲のどこを切り取るかによって変換後のスペクトルは変わる。ピアノの打鍵直後とその減衰過程では、同じ音でもスペクトルの形が異なる。そもそも、何の次元の1/fなのかも問題である。音量の時系列なのか、音高(ピッチ)の変化なのか、音符の長さなのかによって、測る対象が根本的に異なる。つまり、1/fゆらぎは、3つの段階でつまづきに直面する。

測定の段階
「1/fゆらぎを音楽から検出した」という研究の多くは、曲全体にDFTをかけている。しかしピアノの減衰音や旋律のフレーズは非定常信号です。定常過程を前提とするDFTをそのまま使うと、「何かが出た」という結果は出るが、それが何を意味しているのかが根本から怪しくなる。

解析の段階
「1/fに見える」かどうかはログ-ログプロットのどこにフィットさせるかに大きく依存する。低周波側はサンプル数が少ないので推定誤差が大きく、ちょっとしたバイアスで傾きが変わる。べき乗指数 α が「ちょうど1」というのも、実際には 0.7〜1.3 くらいの幅で報告されていて、ずいぶん曖昧である。

解釈の段階
仮に音楽のスペクトルが 1/f っぽく見えたとして、それが「だから気持ちいい」につながる理由は何なのか。 相関があったとしても因果ではないし、「人間が好きな音楽はなんでも測れば 1/f になる」という逆因果の可能性すら排除できない。

音楽の世界に踏み込むと、「何の揺らぎの 1/f か」という問いが実は全然整理されていないことに気づく。音量の時系列? 音高(ピッチ)の時系列? 音符の長さ? リズムの間隔? これらは別々の信号で、それぞれに 1/f かどうかを問うべきなのに、「音楽は 1/f」という言葉でひとまとめにされがちである。

「1/f ゆらぎが心地よさの普遍的な鍵だ」という主張は、フーリエ解析の前提条件への無自覚 + 統計的な曖昧さ + 解釈の飛躍、という三重の問題を抱えている。

視覚の1/f、聴覚の1/f

以上の通り、視覚の進化と1/fには対応関係が比較的明瞭であり、聴覚になると怪しくなる。それは、時間という要素が関連することによると思われる。
この非対称性の理由は、両者が扱う信号の性質の違いに求められる。視覚情報(静止画像)は本質的に「空間」の問題であり、画像全体が同時に存在するため、大域的な周波数分解(あるいはそれに準ずる局所分解)がそのまま統計的性質と対応しやすい。一方、聴覚情報(音楽)は本質的に「時間」の問題であり、信号が時々刻々と非定常に変化するため、曲全体に単純なフーリエ変換をかけても、その瞬間瞬間に脳が処理している情報とは対応しない。
つまり「視覚=空間的フラクタル」「聴覚=時間的フラクタル」と言い換えたほうが、より正確かもしれない。実際、1/f特性を持つ時系列信号のグラフ自体はフラクタル図形になっており(数学的には D=(5−β)/2 という関係でフラクタル次元とスペクトル指数が結びつく)、聴覚が捉えているのはスペクトルの「形」そのものというより、この時間的フラクタル構造(=テンポや音量の揺らぎ方のパターン)である可能性が高い。

ここで注意が必要なのは、人間の聴覚はそもそもフーリエ変換的なスペクトル解析をしていないという点、そして人間の認知が常に環境とリアルタイムに応答し続けている点である。内耳の蝸牛は基底膜の場所ごとに周波数を分離するフィルタバンクであり、脳が受け取っているのは「曲全体のパワースペクトル」ではなく、「今この瞬間の各周波数の強度変化」のリアルタイムな流れである。移調しても同じ曲と分かるのは、絶対的なスペクトルではなく、周波数比やリズム比率といった関係的・構造的な情報に脳が反応しているからだ。

もし1/fゆらぎに認知的な意味があるとすれば、それは楽曲全体のパワースペクトルの傾きよりも、音量やテンポの「時間的な揺らぎ方のパターン」として定式化し直したほうが、もしかしたら、人間の知覚との対応がとれるのかもしれない。ただ、機械的な解析、演算によってそれそのものを定式化するのは、なかなかやっぱり、難しそうである。

一方で、計測された周波に対して「1/f特性」を数理的に解析するのは、純粋に工学的な話として扱うことができる。

予測不可能な揺らぎをもつ、予測可能なリズム

生命活動は、生命活動に特有の何かしらのパターンを有している。
それを言語化すると、こういう表現になるのではないか。

予測不可能な揺らぎをもつ、予測可能なリズム。

フラクタルが教えてくれるのは、「自己相似性とは、過去や全体の’型’を保ちながら、細部だけが予測不可能であり続けること」だという点である。視覚における空間的自己相似性も、聴覚・生体リズムにおける時間的自己相似性も、いずれも「型(秩序)」と「細部の驚き(エントロピー)」が同時に存在する構造だと言える。

それはとんでもなく高次元のパターンゆえに、物理的に定式化することは永遠に不可能かもしれない。一方で、生きているものには当然のようにそれが内蔵されていて、それに従って生き物は生きている。
そのことは、私たちが重力方程式を解けなくても、重力場に対応し運動していることと似ている。

以上のことを踏まえたうえで、それでもなお「1/f特性」という着眼点は、エントロピーと同じくらい重要な示唆を与えてくれる概念であり、純粋に工学的な所産である。そのこと自体は、この論考では保証したうえで論理を組み立てたい。

再び問い直すエントロピー
(物質・エネルギー・情報との比較から)

エントロピーを日常用語に置き換えると、それは「あり得る状態のバラツキや可能性の、豊富さの度合い」である。

その場合の数が多いことを、予測困難、不確実であるという。本来予測困難であるにも関わらず、その生存主体にとって有利である特定の状態であることを報知するサインがあれば、それは生存主体にとっては価値が高い。ゆえに、シャノンはこれを指して「情報量」が大きいといった。
しかし、ここでいう情報とはなんだ?ちなみに日本語でいう情報の語源は「敵情の報知」である。もともと、軍事用語だった。

統計量としてのエントロピーや1/f特性を数字として見ることができるようになったのは、人類の成し遂げた偉大な達成である。ただしそれは、数値化という、機械的な分析の賜物によって実現された、世界を切り取る小さな窓。因果律としてたしかに正確だけれども、縁起のすべてを解き明かしてくれるわけでもない、この宇宙の部分集合である、というのも事実である。

これらの言葉について、改めてもう一度、深く深く、理解したい。

純粋物理的な意味でのエントロピーの意味をもう一度

閉鎖系における理想気体を考える。もし、温度と圧力、体積が同じである状態、つまり同じマクロ状態(P・V・T・n)でも、分子の種類や内部自由度が違えば、エントロピーは異なる。
しかし、同じ温度P・体積V・温度T・分子数nのヘリウムHeと窒素N₂では、エネルギーは同じだが、エントロピーはN₂のほうが高い。

なぜなら:
Heは単原子 → 並進運動だけ
N₂は二原子 → 並進+回転+振動
「その状態が成立する場合の数」が、N₂のほうが圧倒的に多い。

エントロピーが異なり、エネルギーが同じ。エネルギーが同じということは、むしろ不思議でもある。なぜなら、ヘリウムと窒素では1分子あたりの質量が異なるのである。では、なぜ一致するのか?その答えは、ひとつひとつの分子の運動速度が異なるからである。

温度・圧力・体積・分子数という物質・エネルギー的な記述では見えないものを、エントロピーは捉えている。

以上のように解説されると、なんとなくわかる。なんとなくそうかと思う。
しかし、直感に訴えるなにかがない。わかるような、わからないような感じがする。

エントロピーもフーリエ解析も、いわくいいがたいものを数値化する素晴らしい工学的達成であるが、観測の観点や評価の軸によって、いくらでも恣意的に数値化できる、ということである。エントロピーは「何を系とするか」で変わる。フーリエ解析は「どの窓で切るか」で変わる。どちらも観察者の立場に依存している。
一方、温度はひたすらどこまでいっても温度であって、エントロピーやフーリエ解析のような恣意性のない、絶対的なものである、という印象がある。何を系としようと、どこから測ろうと、この物体は今この温度である。観察者が消えても温度は残る。温度には、そのようなあいまいさはない。温度は絶対的であると感じられる。

もしかしたらそれは、これを思考する私が人間だからそう思うのではないか。いま私がげんに生きているからで、温度は身体で直接感じられるからではないか。計算しなくても、定義しなくても、皮膚がすでに知っている。それは根拠のない、根拠のいらない絶対的な存在感覚である。
エントロピーのわからなさが、温度のわかりやすさと等価でないと感じられるのは、人間の側の、純粋に恣意的な都合だったのではないか。

結論への跳躍にむけて、改めてもう一度整理すべきことがある。
それは、物質・エネルギー・温度・エントロピー・特徴量・情報、という6つの概念の関係性である。

その「わからなさ」を紐解くために「系」という概念を導入してみる。

物質・エネルギー・系・温度・エントロピー・特徴量・情報

物質とエネルギーは、存在の二つの様態である。存在するものはすべて、この二つのいずれかの形をとる。

系とは、そのような存在同士が相互作用する範囲に、境界を引いたものである。太陽系も、生態系も、ひとりの人間の身体も、系である。系は外部環境との間にある落差を維持することで、内部に秩序を保つ。

温度とエントロピーは、その系の状態を記述する統計値である。温度は粒子の平均的な運動の激しさ。エントロピーは、その状態が成立し得る場合の数。どちらも、系の内部を直接見ることなく、その「ありよう」を測る道具である。「ありよう」は、原則として系の外側の系が観測するものである。ある系が発する振動を、別の系が感知する。そこに秩序が含まれていた場合に、系同士の間には「意味」が生じる。

情報は、ある系が別の系に対して読み取れる、局所的な秩序のサインである。エントロピーの差は宇宙に客観的に存在するが、それを「読み取る主体」が現れたとき、はじめて情報になる。

エネルギー/物質●存在の根源的な存在様態
●存在が存在するとき、それはエネルギーか物質かのいずれかの形をとる
●存在は、量子、気体、固体、液体、イオン、プラズマなど、様々な形で存在する
●相互作用しあう存在同士について、外部環境との間に境界を設定したもの
●系は、太陽系、生態系、循環器系など、様々なオーダーで存在する
●生物か無生物かを問わない
●原則、物理客観現実として存在するが、人間が恣意的に観察することもある
●工学の世界では「正常系・異常系」という呼び方があり、これもひとつの「系」である
●理学の世界では原理探索のために「閉鎖系」を仮定するが、現実は例外なく「開放系」である
●系はその内部に秩序を有し、環境や他者との相互作用によって生成・成長・衰退・消滅する
温度/エントロピー●系に対してその状態を定量化するための統計値
●系を構成する内的存在の単位をもとに計算される
●温度の高低は分子の運動そのものであり、それ自体が系の皮膜に働きかけ、内外の境界を破壊する
●エントロピーは、それを観測する系の主観的な内部秩序により相互作用の可能性が変わる
特徴量●ある系Aが、その内部にある受容体よって、別の系Bから読み取る秩序の兆候
●光子や音など、なんらかの「波」よって運ばれる
情報●系が生存を維持、拡大するために必要とする特徴量
●その存在確率の低さが価値の高さと直結する
●シャノンサプライズとは、まさにその「ありえないはずのもの」があったことを指す
●不確実な系に対して、その状態を特定する情報が得られたら、それを「情報量が大きい」という

情報とはなにか。情報には二種類ある。
ひとつは、客観物理的なもの。定量化された数値としての温度やエントロピー値も、ひとつの情報であるといえる。
もうひとつは、主観認知・意味的なものである。

前者はエントロピーの差として客観的に存在する。生存主体がいなくても宇宙にある。
後者は、ある系が別の系に対して「読み取る」ことによって、初めて成立する。

原則として、温度が低い状態、エントロピーが高い状態のものからは、仕事を取り出せない。
しかし、もう一方の原則として、温度の高い状態は、すなわちエントロピーの高い状態を導く。

問題は、エントロピーが高いか低いかではない。生存主体にとって有用な(その内部秩序に適合する)物質を見極めることが重要であり、高エントロピー状態からそれを見出す知性が生命現象の本質なのではないか。

以上のように整理することで、冒頭に設定した問いに、少しはまともに答えられるように思われる。

問いに応える

まず、食事について。

たとえば咀嚼を考える。咀嚼とは、食べ物を物理的に細かくする作業である。単純にモノとして見たら、エントロピーを増やす行為である。咀嚼に限らず、味噌を味噌汁に溶く行為も、野菜を発酵させる行為もまた、エントロピーを増やしている。
これは当初のインスピレーションである「エントロピーの低い食べ物が身体にいいし、美味しい」という直感と反する。これはどういうことか。

ポイントは、身体が消化しやすい状態にしている、という着眼点であるように思われる。生き物の消化器官は、自分が必要とする物質、不要な物質を区別する。それはどこまでいっても高分子のモノとしての分子構造に着目している。嗅覚も味覚も、それを弁別している。
弁別とは評価関数を持っているということである。その評価関数のなかで、意味や価値のある情報を探している。ここにきて思う、身体にいい物質は、「エントロピーが低い」というべきではなかったかもしれない。むしろ「情報量が大きい」ということだったのではないか。

ある生存主体者が、自らの身体感覚と外界に対して注意を払い、必要な食べ物その他の資源を探し、獲得し、消化吸収するプロセスは、その生存主体者の内部秩序と外部資源の間に文脈を形成している、というふうに言える。

ちなみにここで、特に判断の部分については、知覚された情報はあくまで一次情報であり、知識や経験、学習によって形成されたその生存主体者の世界像のバイアスを受ける。産業革命以来、工業系のエントロピー評価が人間の大脳にバイアスを与えており、一方で、人間の身体はさほど進化していない。産業革命は、物質・エネルギー効率を高めたが、情報・エントロピー効率はむしろ低める効果をもたらしている。

次に、芸術について。

芸術に関する問いに応えるにあたって、その補助線として一冊の書籍を参照したい。公認心理師である、みき いちたろう氏の著書「発達性トラウマ 生きづらさの正体」である。大急ぎで本書の内容をダイジェスト紹介すると、以下の興味深い指摘をしている。

本書で着目すべきは、メンタル不調が長期間の予測不可能性にさらされたときに発生する、という点である。自然環境で、シマウマがライオンに遭遇したとき、シマウマの身体はストレス応答をする、その結果として、逃走その他の行動を取る。しかしそれはトラウマにならない。危機が去ったらケロリと回復するし、胃潰瘍もできない。
一方で、同じ動物でも、例えば試験に使われるラットの場合、ストレスにさらされたときに胃潰瘍や腎臓肥大などの反応を示すことがある。

生き物に病的な症状をもたらすストレスの正体が、この違いで見て取れる。それが予測不可能性であり、コントロール不可能性だ、という。

自然界は、予測不可能である。明日雨が降るのか晴れるのかすら、100%は予報できない。しかし、その予測不可能性に包まれていても、生き物は平気で生きていられる。それはいわば「予測可能な予測不可能性」とでもいうべきものなのだろう。「確かにあるのに説明できない秩序」と言い換えてもいい。
自然現象をデータとして解析したときに、「1/f」という共通項が不思議と繰り返されるのも、きっとこの「予測可能な予測不可能性」「確かにあるのに説明できない秩序」の結果としてのあらわれなのだろうと思われる。

複雑性PTSDを主題的に扱う近年のトラウマ理論は、その本質を「自己の喪失」であるという。そして、そこからの回復に必要なのは、まずは基盤としての身体的健康、規則正しいリズムに基づく生活、そしてその先に、周囲の人や環境との適切な関係性を結ぶことであるという。

現代人が、なぜこれほどまでにストレスにまみれているのかというと、きっとそれは「予測不可能な予測不可能性」にさらされているからなのだ。だから、世界と自己との間に断絶を感じ、孤独化する。

ここでもう一冊の本を挙げたい。角幡 唯介「狩りの思考法」である。本書の「グッとくるフレーズ」を、少し量があるけれども、順に紹介する。

「予測可能な予測不可能性」の環境に身をおいて、環境を読み解き、獲得したいものを探し、予測する。理屈では証明できないなにかに導かれ、それと出会い、殺し、食べ、消化する。そのことによって、食べるものと食べられるものの互いが互いに生と死をわけあっている。

ここにいたって思い出したいのが、白川静の「狂字論」である。

狂気を意味する alienation は、本来疎外を意味する語であり、さらにいえば alien は異邦人、異質なるものを意味する語である。狂気は理性にとって異質なものとして区別され、排除されるものであるが、しかし闇を通して微光がもたらされるように、人はこの異質なるものを内在させることによって、はじめて理性的であることができるのではないか。すなわちその異質なるものの自己疎外を通じて、より理性的であることができるのではないかと思う。パスカルの(パンセ)に、次のような一条があることが思い出される。

人間が狂気じみていることは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう。

以上を踏まえると、芸術に、人間の歪んだ世界像を補整する働きがあるのはもはや自明であるとしか思えないし、そのようにしか言えない。

人間という系は、己の生存状態の存続を目指す。そのために、世界を理解しようとする。世界や宇宙を構成するひとつひとつの物質の内部構造を分析すると、実に整然とした秩序を持っている。(たとえば、原子は陽子と中性子、電子で構成される、など)これが白川のいう「理」である。
しかし、系の内部構造と違って、系が他の系や環境と相互作用する様子に対しては、一般法則は見出しがたい。原理原則に当てはまらないものを白川は「狂」と呼ぶ。狂字論は、この書き出しのあとに、延々と中国史における社会変革者の事例を紹介していく。社会という系もまた内部秩序を持つが、その構成分子であるひとりの人間によってその秩序が更新されていく。その姿を克明に描写していく。

では、世界秩序はカオスなのか、狂っているのかというと、そうでもない。「1/f」に言われるように、あるいは多くのカオス理論系の研究結果が示唆するように、マクロに見たときの物理的傾向も、それをさせる原理もやはり、存在するのである。すぐれた芸術は、それそのものを、ひとつの作品として、物語として、表象する。それを受け取ることが、人間の内部にある世界モデルを、世界に対してチューニングしてくれる。

プロジェクトとエントロピー

プロジェクトマネジメントもやはり、エントロピーを下げる行為である。しかし、多くのビジネス現場で、誤ったプロジェクトマネジメントが、かえって状況を濁しているのもしばしば観察される。

その失敗の正体は、「エントロピーを下げてはいけない対象」のエントロピーまで、下げてしまうことにある。ウォーターフォール型マネジメントの過剰適用(特定のフレームワーク・テンプレートの逸脱を許さない)や、アジャイルの盲目的活用(本来は状況適応のはずの儀式――デイリースクラムやスプリント等――が、それ自体思考停止的に形骸化し、劣化ウォーターフォール化する)は、いずれも進行プロセス(手段)のエントロピーを早期に、過剰に固定してしまうという、同じ病理を持っている。
手段のエントロピーの過剰固定は、現実と計画の間に齟齬を発生させ、人間の認知に過剰な負荷を強いる。これが、下手なプロジェクトマネジメントがもたらす「予測不可能な予測不可能性」の正体であり、プロジェクトマネジメントの失敗は、そのプロジェクトに関わる人間の認知コスト、計算負荷を増大させる。それは当事者に、世界からの断絶、孤独感をもたらす。適応障害とは、世界への適応、世間とのつながりに障害が発生している、ということである。プロジェクトが成就しなければ、プロジェクトマネジメントにかけた労力(エネルギー)は報われない。

では、プロジェクトの成就とはなにか。人間同士の、そして人間と社会環境、自然環境のあいだにある大域的アトラクタ問題として捉え直すことで、希望を見出したい。関与する人々の認知・感情・意思決定が、ひとつの共有されたアトラクタへと収束するとき、プロジェクトは推進力を持つ。逆に、各自が別々のアトラクタへ引き寄せられているとき、プロジェクトは空中分解する。

このことを、卓越した実例として体現していたのが、スタジオジブリの鈴木敏夫氏である。氏は、広告コピーを「お客さんに見せるため」ではなく「制作する人、宣伝する人、興行する人が、その作品の本質を理解し、一致団結してひとつの方向に向かうための旗印」として機能させていたと述懐している。ひとりひとりが勝手に振動している個々の細胞のような組織のなかで、共鳴を生み出す固有振動数を見つけ出し、送り出すこと。それこそが、プロジェクトを成就させる決定的な要因なのである。鈴木氏の場合、その共振の射程は、制作・宣伝・興行・メディア・観客という異なる立場を異様なまでに広く横断していた。

ここで重要なのは、この収束が「ゴール」において起きているという点である。制作陣も宣伝担当も、それぞれが選び取る具体的な手段(脚本の書き方、広告の打ち方)はバラバラでよい。しかし「この作品の本質はこれだ」という一点においてのみ、全員が同じアトラクタへ収束する。

この「ゴールは収束させ、手段は多様なまま保持する」という非対称な操作を、方法論として実現しようとするのが、筆者の提唱する「プ譜」である。ゴール(獲得目標)を関係者間で同期して収束させる一方、そこに至る施策・手段は状況に応じて柔軟に、エントロピーを保持したまま選び直す。適切な勝利条件の発見・言語化が、無数にありうる施策のなかから筋の良いものだけを引き寄せ、その範囲のなかで、状況に応じた選択の自由度を残す。それが、プ譜というプロジェクト観の骨格である。
おそらく、良いプ譜には、そこで選択された言葉そのものに固有の振動数ににたなにかしらの特徴量が埋め込まれている。他者の描いたプ譜同士に共鳴を促しあう関係性が生じたとき、プロジェクトは、ひとりの人間の脳を飛び越えて、他者同士の共有物として昇華される。

他者と他者が出会い、関係しあい、境界があいまいになり、あらたな組み合わせが組み合わさり、新たな秩序が生じる。それが、プロジェクトである。なぜか、人間はそこに喜びを覚えるように進化した。いや、他の生き物も、少なくとも脊椎動物は同じ喜びを味わっているように見える。人間の特質があるとすれば、そのプロセスをメタに認知し、自己言及し、その構造を工学し、再現させようとする点であろう。
人間の持つその特質が、社会や地球の存続にプラスになるような、生き物にとって生産的なものなのか。あるいは、宇宙のエントロピー上昇という熱力学第2法則の純粋手段としての、破壊的なものなのか。個人的には、前者であると信じたい。前者であるようなプロジェクトに加担したい。

しめくくりに:はじまりの問いに答える

私たち現代人は、なぜ、疲れているのか。ストレスである。より正確にいえば、そのストレスには2つの側面がある。

人工的な環境で生成された、1/f特性を内包しない、不自然なストレス
当事者の情報処理構造に適しない、情報量の高すぎる情報による過剰なストレス

社会に貨幣が流通し、工業化が進むことにより、物質とエネルギーの循環効率は高まった。だから、私たちは飢えるという脅威からは、遠ざかった。
しかし、日々、生きることの不安に直面している。

この安定した生活が、いつ失われてもおかしくないという不安
自分自身という現存在を見失ってしまったという不安

これらの不安は、物質・エネルギー効率の改善という恩恵の反作用によって生じた。
だから、疲れているのに、飢えなくて済んでいる。

プロジェクトマネジメントの大規模化、高度化、広域化は、その最前衛で起きている現象である。

私たちの社会は、ストレスと不安の臨界点に到達しようとしている。スマホやSNS、生成AIサービスは、それに拍車をかけている。

思い出そう。私たちは、確かにあるのに説明できない秩序のなかで生きている。
そこには、予測不可能な揺らぎをもつ、予測可能なリズムが流れている。

大小さまざまなスケールで、あらゆる物質が関わり合いながらリズムを構成している。ポリリズム。
自分たちもまた、その一部。

信じるべきは、そして取り戻すべきは、私たちの、内なる自然のリズムである。
そこに身を預けることができたら、きっとそれが、自分の時間を取り戻すきっかけになる。

補遺

究極の問い:なぜエントロピー増大に、生命現象を介在させるのか?

生命現象が働かなくても、太陽が別の星を温め、黒体放射してしまえば、自然とエネルギーは散らされ、エントロピーは高まる。熱力学第2法則が宇宙の摂理だというなら、なにもわざわざ生命現象が発祥することはなかったようにも思われる。
しかし、この宇宙には電子と陽子とエネルギー準位というものがあって、そして万有引力というものがあって、結果として純粋物理現象として有機物が誕生し、いまこうして人類がいて、宇宙を理解しようとしている。いったいそれはなんなんだろう?

生き物は、エネルギーとエントロピーを取り込み、消化し、利用し、放出するシステムである。その効率を高める契機として、進化というプロセスがあった。それは常に情報系のマイナーチェンジという形でなされてきた。養老孟司は身体を大きく二つの系統に分けて考えた。

情報系

  • 脳・神経系・感覚器官
  • 外界の情報を処理し、意識・言語・思考を生む
  • 変化しやすく、可塑的

身体系栄養・物質系

  • 消化・循環・免疫・生殖など
  • 物質とエネルギーを処理する
  • 意識の外で自律的に動く

このなかで養老は、免疫は「身体系」に属し、情報系(意識・脳)が介入できない領域の典型であるとした。遺伝も同様に、情報系がいくら発達しても書き換えられない「身体の論理」と論じた。その話と、今回の議論は、深い部分で密接に関係していると思われてならない。しかし、どこからなにをどう定式化し、論じればよいかはまだ判然としない。さすがにそれは手に余るので、いったん、補遺として退避する。

寄り道① 地球から宇宙への熱放出の効率は大気組成が影響する

光子が分子に吸収されるには条件があり、光子のエネルギーが、分子のエネルギー準位の差にぴったり一致しないと吸収されない。

赤外線光子を吸収 → 分子が振動励起状態へ
 → 別の分子と衝突→熱として周囲に分散
   または自発放射/誘導放射(光子を再放射)

方向がランダムなので、一部は地表に戻り、一部は宇宙へ抜ける。
これが温室効果の実体。

気体働き
CO₂、H₂O、CH₄赤外線を吸収・再放射(温室効果)
O₂、N₂赤外線をほぼ素通りさせる

約8〜13マイクロメートルの領域は温室効果ガスの吸収が少なく、地表の熱が直接宇宙へ抜ける。これを大気の窓と呼ぶ。
砂漠が夜間に急激に冷えるのは、水蒸気が少なくこの窓が大きく開いているため。逆に湿度の高い熱帯では窓が狭く、夜間も温度が保たれる。

地球の赤外放射スペクトルは、288Kの黒体放射を包絡線として、大気分子が特定波長を吸収した穴だらけの構造を持つ。この「穴の形」がまさに大気組成の指紋であり、宇宙から地球を観測すると大気の成分が読み取れる。系外惑星の大気分析も同じ原理を使われている。

寄り道② 地球の周期的な気候変動について

炭素固定の観点からみた地球の気候変動史

出来事炭素の動き気候への影響
光合成の誕生大気→生物圏CO₂低下・寒冷化
石炭紀の森林大気→地中CO₂急低下
白亜紀の火山活動地中→大気CO₂上昇・温暖化
現代の化石燃料燃焼地中→大気CO₂上昇・温暖化

光合成を行う最初期の生命はシアノバクテリアで、その活動の痕跡がストロマトライトとして残っている。
大酸化イベント(約24億年前)と呼ばれ、当時の嫌気性生物にとっては猛毒として働き、大量絶滅につながった。

数万年スケール:ミランコビッチサイクル

サイクル周期内容
離心率約10万年地球の公転軌道の楕円度の変化
地軸の傾き約4.1万年23.5°±1°程度で変動
歳差運動約2.6万年地軸の首振り運動

数百万〜数千万年スケール

火山活動 → CO₂放出 → 温暖化

風化作用 → CO₂吸収 → 寒冷化

大陸配置の変化
・海流のパターンが変わる
・南極大陸が孤立→南極環流→氷床形成
・パナマ地峡の閉鎖→メキシコ湾流強化→北半球氷床へ


この記事の著者

後藤洋平,ポートレート

プロジェクト進行支援家 後藤洋平

ものづくり、新規事業開発、組織開発、デジタル開発等、横断的な経験をもとに、何を・どこまで・どうやって実現するかが定めづらい、未知なる取り組みの進行手法を考える「プロジェクト工学」の構築に取り組んでいます。

世の中のプロジェクトがもっと幸せなものであるようにと思って、日々、プロジェクト立て直しや育成プロセス改善など、試行錯誤しながら、活動しています。

著書

・予定通り進まないプロジェクトの進め方(宣伝会議)
・紙1枚に書くだけでうまくいく プロジェクト進行の技術が身につく本(翔泳社)
・“プロジェクト会議”成功の技法 チームづくりから意思疎通・ファシリテーション・トラブル解決まで(翔泳社) 等

連絡先

mail: info@gotolab.co.jp
Facebook https://www.facebook.com/gotoYohei
LinkedIn https://www.linkedin.com/in/%E6%B4%8B%E5%B9%B3-%E5%BE%8C%E8%97%A4-2159a925b/

youtube再開しました!

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